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<この文章は放射能のタブー(ベストセラーズ社)に収録されたものに手を加えたものです。発表から8年以上も経っているので、ここに公開します。>

東電の生みの親は、ファシズム(国家社会主義)である

2011年8月31日 佐藤研一朗

 2011年3月11日。アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ロチェスター市。時間は午前2時を回ったところだっただろうか。私は仙台の荒浜に津波が迫っていく映像を見ていた。真っ白な一線の波が陸地に押し寄せる。そして子供の頃によく泳ぎに行った仙台の浜を飲み込んでいった。地球の裏側のアメリカでこんな光景を見ることになるとは。

 レスキュー隊員として荒浜の救助ヘリポートで働いている同級生の顔が脳裏に浮かんできた。T君は生きているんだろうか? 

 仙台の家族は大丈夫だろうか? 実家に電話するがつながらない。実家は海からずっと離れているから津波は大丈夫なはずだ、地震の被害もきっと少ないだろうと、自分に言い聞かせて、ダイヤルを押し続けた。やっと夜が明けるころに一番下の妹に電話がつながり、家族の無事を確認できた。

 ほっと胸をなでおろしたところ、今度はテレビに真赤な炎が真っ暗な闇に映し出された。宮城県の気仙沼の街が火の海になっている。南三陸町は壊滅したというニュースが何度も繰り返し流れている。涙が止まらない。どうも自分の故郷がとんでもないことになっていることだけは分かった。

 翌日12日、東京の友人からスカイプ(テレビ電話のソフト)がかかってきた。原発のニュースを見たか、俺は西に逃げると彼は言った。

 すぐにユーストリーム(ネットの動画中継サイト)で日本のテレビの中継を見つけ出すと、福島第一原発の一号機が爆発した様子が流されていた。いったい原発で何が起きているんだ? 想像もつかないが、悪いことだけは間違いないようだ。14日には三号機が爆発。15日は2号機から煙が上がった。

 余震が続いている。事態は更に悪化しているように見えた。それから一ヶ月間以上、自分はコンピューターの前から離れることができなかった。寝ている以外のほとんどは情報収集に没頭していた。

 日本のメディアによる原発は大丈夫だ、安心だという報道とは裏腹に、アメリカのテレビでは原発がメルトダウンしたようだ。最悪な事態にもなりうると報道していた。何を信じていいのか全くわからない。信用というものが、ガラガラと音をたてて崩れていく。

 核融合を研究している友人に、最悪の場合はどうなるのかと、フェイスブック(友人をネットで結ぶのアメリカのソーシャルネットワーク)で尋ねると、最悪な場合は、今後何百年間と東日本に人が入れなくなるとメールが返っていた。

 絶望的な気分になる。あの美しい東北はどうなってしまうんだろうか。もう日本には帰れないのだろうか。

 テレビの中継では記者会見で原子力保安院の役人がヘラヘラとした表情でなんとも要領を得ない回答をしている。こんな奴らが自分たちの命運を握っているなんて。これが国難でなければ何なんだろうか。

 なんてこった。どうしてこんなことになってしまったんだ? 激しい怒りとともに、そんな疑問が頭に浮かんできた。

 311の震災以降、数カ月間で、この国の矛盾と問題が一気に人々の目の前で露呈した。きっと我々は時代の目撃者なのだろう。でも我々はいったい「何」を目撃したんだろうか? 

 今でも次々と考えられないような事件が起き、貴重な目撃体験すらも忘れてしまいそうだ。情報の津波に流されないで、自分たちの前で起きていることをちゃんと理解できただろうか。

 どうしてこんなことになってしまったのか。その原因を探ろう。どんな社会の構造がこの原発事故を招いたのか。そこにどんな歴史の闇があり、政治の力学があり、経済的なカラクリが潜んでいたのか。どんな思想(考え方)が背後に存在したのか。

 問題の根本的な原因を見つけて正さなければ、きっと我々は同じ間違いをまた犯すだろう。表面的な問題を解決しようと、行き当たりばったりのバンソウコウのような安っぽい解決策が進められるだろう。しかし、それは事態を悪化させるだけである。この二十年間、日本の政治がそれを身を持って実践してきたではないか。

<殿様商売>

 原発事故の数日後、東京電力は計画停電を行うと発表した。地震と津波で原子力発電所や他の発電所がやられたため、需要に耐えられるほどの電力を供給できないからだと説明された。地区ごとに分けられて、順番に停電が行われた。それは「計画」停電とは言うものの、酷く混乱しているようにみえた。北朝鮮の停電もこんな感じなんだろうか。

 この計画停電でよく分かったのは、関東全域で一般家庭に電力を供給しているのは、東電だけだということだ。東電という、いち民間会社が、関東一円の全ての電気のスイッチを握っているのだ。

 通常、どんな産業、業種にも複数の企業がいる。普通、自動車だろうが、野菜だろうが、どんな商品でも、客は好きな企業から気に入った品を選ぶことができる。客に選択肢があるから、競争になって「高くて悪い」商品を売る企業は淘汰されるのだ。

 もし選択肢があるなら、私ならもう東電から電気を買うまい。原発事故への抗議として、原子力発電をやっていない他の電力会社から電気を買うだろう。レストランに行って食中毒になったら、もうその店には食べに行かない。それと同じだ。

 しかし、これが電力になるとそうはいかない。国民は抗議どころか「高くて、悪くて、危険な」電力を今後も買わされ続けるのである。東電は地域独占企業だから、消費者には選択肢はないのだ。東電が高飛車なのは当たり前だ。消費者は東電を罰することができないのだ。地域独占の殿様商売をやっているのだから。

<東電の生みの親はファシズム>

 ではどうして東電は地域独占をやっていられるのだろうか。今回、日本の電力産業の歴史を調べていって自分でも驚いたが、なんと最後にはファシズムという思想に行き着くのである。ファシズムこそが、東電のような日本の地域独占型の電力会社の生みの親なのだ。

 ファシズムという言葉は、非常にややこしい。ファシズム国家は対外的には帝国主義だが、国内では社会主義的である。それでいて反共であり、一部の産業界や資産家たちともうまくやっている。国を一個の有機体と考えるため、個人主義は否定される全体主義で、国粋主義でもある。そこに独裁者、海外侵略、ユダヤ人虐殺とくるので話がますます分からなくなる。

 ではイタリアでファシスト党を率いてクーデターを起こし、国民からの強い支持を背景に国王を抱き込み、ファシスト独裁体制を確立したファシズムの提唱者であるムッソリーニはなんと言っているだろうか。ムッソリーニによるファシズム国家の定義は「軍国主義勢力の拡大に向けてすべてが組織されて動員される戦闘的な国家」というものである。*1

 これでも分かりづらいが、要は「(戦争に勝つというような)国家の利益を何よりも優先し、国が資源、産業をコントロールするべきだ」という思想だ。独裁者、海外侵略、ユダヤ人虐殺などは「国益のために国家が資源や産業をコントロール」した必然的な結果であると考えればわかりやすい。ではそのファシズムと東電はどう繋がっているのか?

<戦前には470社にも及ぶ電力会社があった>

 驚くことだが戦前の日本経済は今よりもずっと自由主義的な経済であった。年功序列も終身雇用もなかったし、株式などで資金を調達する直接金融が主流であった。国家による経済への介入も今より少なかった。戦前の電力会社も自由競争だった。地域独占はなく、新規参入が許されており、1937年には全国に470社にも及ぶ電力事業社があったのだ。このことは何度でも強調してもいいくらい重要なことである。

 経済学者の野口悠紀雄は、戦後、日本的な経済の特徴といわれた年功序列、終身雇用、銀行中心の間接金融、直接税中心の税体系、中央集権的な財政制度は、日本の伝統的な政治や経済体制ではなくて、日中戦争や大東亜戦争(太平洋戦争)などの戦争を闘うために生まれたことを発見し、この戦時総力戦体制を1940年体制と名づけた。*2

 この1940年体制というのは、もちろんファシズムのことである。戦時中に日本の政治と経済の中枢にファシズムが埋めこまれ、戦後の日本を作ったのだ。戦後日本はよく、一番成功した社会主義と言われたが、実は戦後日本を作ったのはファシズムだったのだ。日本のサラリーマンは今でも16時間も毎日働かされているのは、それは今でも日本はズタボロになりながら総力戦を戦わされているからだ。酷い負け戦だ。

 戦前の自由な電力産業は、戦争と共に統制の道をたどった。1931年には満州事変が、1937年には日中戦争が勃発した。そして1939年には第二次世界大戦が始まる。戦争を闘うために国家による経済への介入が強まっていった。

 1938年には、国が電力を「効率良く」軍事産業に配分するために、電力国家統制法が成立された。そして半民半官の日本発送電株式会社が設立された。1941年には配電統制令が公布され、<ここから強調>全国各地に470社もあった電力事業者は全て解散され、日本発送電に統合されたのである。この体制のもとで全国9ブロックに新たな配電会社が設立された。この9配電事業体制が戦後も生き延びて、それがそのまま現在の東電のような地域独占型の電力会社となったのである。<ここまで強調> 

 この電力国家統制法が成立した1938年には、悪名高い国家総動員法も成立している。これは「国の資源と労働力のすべてを戦争目的のために動員する統制権限を政府に委任した授権立法である。この法律は1932年のナチス・ドイツにおける授権法の日本版と言われた」のである。*2 戦争を闘うために国内の全ての資源を統制する国家総動員法は、電力国家統制法と同様に、まさにファシズムそのものだ。

<革新官僚 悪の中央経済計画者たち>

 この電力国家統制法が議会に提出された時、これは自由主義経済に対する挑戦だと財界との間で大論争を引き起こした。 当時の大手電力会社、東邦電力社長の松永安左エ門は「官吏は人間のクズ」と発言し、この法案の下書きをした革新官僚たちを批判している*3

 革新官僚たちは、逓信省(ていしんしょう)出身の奥村喜和男、企画院総裁の星野直樹、岸信介に代表される。イタリアのムッソリーニのファシズム、ドイツナチスの国家社会主義、マルクス主義やソ連の計画経済の影響を受けた人々である。今となっては驚きだが、当時の世界のエリートたちは大なり小なりこのような考えを共有していた。自由主義経済の本拠地のアメリカでさえ、ルーズベルト大統領のもとで、ケインズ主義的を採用し、ソフト版のファシズムと言えるニューディール政策を実行していたのである。

 このことに警鐘を鳴らしたのがオーストリア学派の経済学者の泰斗(たいと)のフリードリヒ・ハイエクだった。ハイエクは1944年に『隷従への道』を発表し、ファシズムと社会主義は同根であり全体主義なのだと看破したのである。そして同時に西側諸国の福祉国家にも同様の傾向があると指摘したのである。ハイエクは全体主義には、少数の優れた経済計画者が必要だが、いくら優れた人物でも全ての事を知る由もなく、計画経済はうまくいかないと主張した。そして政府が経済に介入するべきではなく、経済は自由市場に任せ、政府は秩序と国民の私有財産を守ることに徹するべきだと、自由主義を唱えたのである。

 満州で国家経営に関わっていた革新官僚たちは、まさにハイエクが批判していた中央経済計画者(セントラル・エコノミック・プランナー)そのものだった。植民地の国力を上げるために、政策を定め、どのように資源を確保し、人員や資金を配分するか決めていた人々である。そして戦争中は、内閣直属の企画院で日本の戦時統制計画を立てている。

 つまり彼らは、王様の立場になって考え、国家の方針を決めていたわけだ。従う方としては「お国のために、国民や企業は一丸となって、優れたお上(官僚)の命令に従って、滅私奉公、一生懸命働け」ということだからたまったものではない。そこに国民や企業の都合は一切考慮されないのである。全国に470社もあった電力会社は全て解散されて1社にまとめられてしまった。経営者や従業員がどんな思いで企業を作ってきたのか、そんなことは彼らには関係がないのだ。

 電力国家統制法の下書きをした革新官僚の奥村喜和男は当時の論文で「民有国営論」を唱えている。奥村は電力会社は国有国営でなく、「民有国営」会社で行うべきだと訴えたのだ。つまり民間人が保有するが、国の指示どおりの経営をする会社である。

 社会主義のように完全に国有国営企業にすると効率が悪いと奥村は考えていた。国の借金を増やすし、面倒な議会の対応や監査がある。公務員を増員しなくてはならないし、万が一の時には国家補償をしなくてはいけない。民有国営なら、そのような面倒なことはない。株は民間人に持たせ、政府の規制や指導で縛り付け国の思うように電力会社を運営すればいいと奥村は訴えたのだ。*2 この民有国営企業は、最終的な責任者である本当のオーナーがいない魂のないゾンビのような企業だ。この恐ろしい遺伝子はそのまま今の日本の電力会社に受け継がれている。民間会社の電力会社は、国のエネルギー政策に言いなりになって、日本中に原発を作り続けたのだ。

<戦後も生き残ったファシズム>

 戦後、公職追放の憂き目にあった軍部や政治家たちをよそに、官僚たちはほとんど公職から追放されなかった。GHQが日本統治のために官僚の力が必要だと判断したからだ。戦時総力戦体制を作った張本人の革新官僚たちも何の処罰を受けず生き残った。 そして統制経済体制も、かなりの部分が戦後にも残ったのである。

 今でも日本経済のいたるところにこの統制経済の名残がのこっている。例えば電力、放送、銀行などはその典型だ。このような業界は、基本的に許認可制になっており、新規参入が許されていいない、寡占市場である。法律、規制、行政指導などに厳しく縛られており、自由に営業をすることができないのである。戦後の高度成長の要因として、この統制経済体制がうまく機能したのだという主張もある。しかし、このような体制での成功は長続きしないのだ。モノカルチャーのように多様性に乏しいため、変化についていけない。事態が一旦変わると途端に全てがだめになってしまう。まさにこの失われた20年はその典型である。モノカルチャー的な成功を収めた日本は、バブル崩壊後、まったく振るわない。

<東電に一切の補償をさせ、解体せよ>

 このような統制経済の一番悪い所は、何か問題が起きた時、当事者が責任を取らされず、社会になすりつけられることである。つまり破綻が許されず、清算が進まず、事態は悪化し、ツケは国民に税金という形で押し付けられるのだ。

 そのことを私が一番感じるのは、今回の福島の原発事故の後の対応である。今回の事故により何十万人という人が故郷を離れ避難生活を余儀なくされている。これは日本戦後史上最大の公害事件である。公害を起こした張本人である東京電力は、事業主としてその責任から逃れることはできない。

 責任の所在を明らかにし責任を取らせる。これが資本主義の基本的なルールだ。本来、今回の事故で起きた損害は、東電が補償すべきものである。それ以外にはありえないのである。東電が損害賠償を払いきれなければ、オーナである株主が責任を取らなくてはならない。つまり持っている株式が0円になるということだ。そして東電は持っている資産を全て身売りして、賠償金を払うべきである。これで東電の解体ともに、電力自由化も達成される。

 改革派として知られる現役の経産官僚、古賀茂明がこの件で非常にまともな提案をしている。古賀のプランは、会社更生法や民事再生法に近い。株主は責任を取らされ株式は100%減資され、銀行は債権放棄を迫られる。最終的には東電を発電会社と送電会社に分割し、発電送電分離を実現する。このプランでは国民負担は5兆円近く減るという。*4

<隠蔽される責任>

 しかしこれが日本政府にかかると、途端に責任の所在がわからなくなってしまう。2011年8月上旬に成立した原子力損害賠償支援機構法は、まさにモラルハザードそのものである。原子力発電を持っている9つの電力会社が負担金を出し、原子力損害賠償支援機構を設立する。損害賠償にかかる東電の資産が不足すれば、同機構が資金注入し救済する仕組みである。そして機構には、国から二兆円ほど交付国債が貸し出される。

 この体制では、誰も責任を取らない。それどころか東電だけでなく、今回の事故に全く関係のない他の電力事業者もが賠償金を支払わせられるのである。それは電気料金に上乗せされ、一般の国民が払うのである。電力事業は地域独占で、一般消費者は他から電気を買ってくることができない。つまりこれは体の良い税金である。税金で直接払うと、国民の反発を買うのでこのような巧妙な形で事態を隠蔽しているのである。

<脱原発は自由化から>

 福島の原発事故をキッカケに、世論はにわかに脱原発に向かった。脱原発は大変結構なことだと私は思う。しかし脱原発を真剣に考えるのであれば、どうしても自由化が必要になる。もし国が電力産業に介入せず、戦後も、戦前のように電力が自由競争だったら、初めから日本にこれほど多くの原子力発電所はなかったはずだ。

 元々、原発というのはそれほど競争力のある発電方法ではないのだ。アメリカのシンクタンクのケートー研究所によれば、本来、原子力発電のコストは、火力発電やガス発電に及ばない。*5 まして今回のような原発事故の責任を事業者が100%負わなければならないなら、そのコストはさらに跳ね上がる。使用済みの核燃料の処理を自己責任にしたら、原子力に手を出したいと考える企業はなくなるのではないだろうか。

 これほど原子力発電所が日本に存在しているのは、国がエネルギー政策として原子力を推進しているからだ。毎年5000億円の以上の原子力予算をつけ、「民有国営」の電力会社にわざわざコストの高い原子力をやらせている。そして電力会社は、地域独占をしているので高いコストを消費者に転嫁できるのだ。日本の電気料金は、アメリカや韓国の三倍である。*6 電力を自由化すれば、こんな「高くて危険な」電気を売りつけるのは難しくなる。

 だから、電子力予算を大幅に削減し、エネルギー政策を改め、新規参入を認め、事業者に自由に競争させ、失敗した場合はその事業主に責任を取らせるとするだけで、原子力発電所はコスト競争に勝てず次第に淘汰される。原子力が残るとすれば安くて安全な発電方法が確立した時だけだ。

 結局の所、今回の原子力事故もファシズム体制の欠陥のせいで起きたのだ。最終的な責任者がいない民有国営の体制と、「高くて危険な」電力を顧客に売っても淘汰されない地域独占の統制電力産業によって、この事故は必然的に引き起こされたのだ。電力統制が、原発事故を起こし、放射能をバラマキ、計画停電を行っている。今となっては「電力を自由化にすると電力が不安定になる。アメリカで自由化をして停電がおきただろう」という、官僚たちによる反自由市場のプロパガンダは何の説得力もない。

<自由競争というエネルギー政策>

 政府のエネルギー政策は、事業者に自由に競争させ、失敗した場合はその事業主に責任を取らせると単純なものでいいのだ。

 自由化すれば、小規模な自然エネルギー発電などにも道をひらくのである。環境意識の高い消費者は、多少高価だが自然エネルギーだけを売っている電気会社から自由に電気を買えるようになる。消費者にはその選択肢があればいいのである。小規模な自然エネルギー発電会社は十分に成り立つ可能性はあるのだ。

 間違っても脱原発だから、政府がエネルギー政策を変更し、自然エネルギーを推進するべきでない。それはまたきた道だ。ファシズムへの道だ。自然エネルギーは原発と違って爆発はしないかもしれない。しかしその発電効率の低さと、値段の高さがあいまって、日本経済を爆発させるかもしれない。

 先日、成立した再エネ法は、電力会社に自然エネルギーを一定価格で買取ることを義務付けるものであるが、経済の法則に逆らった酷い法律だ。これはこれはただの価格統制である。事態を悪化させるだけの表面的な解決策だ。すでに高価な電気料金がさらに跳ね上がるだけである。産業の空洞化は円高だけで起きるのではないのだ。

 1923年に起きた関東大震災のあと日本はその対処を誤ったため昭和恐慌を深刻化させ、ファシズムを台頭させ戦争への道へ突き進んでいった。今回はどうしてもそれを避けなければならない。今後、日本が戦乱に巻き込まれ、ミサイルの雨が降り注ぎ、日本の街が死体と瓦礫の山になることを回避しなくてはならない。未来はまだ決まっていない。そうさせないために、今回の国難の原因をよくよく理解して、行動するべきだ。今こそ日本人はファシズムから目を覚ます時だ。ファシズムをぶっとばせ!

*1 エンツォ・リラヴェルソ『全体主義』平凡社新書

*2 野口悠紀雄 『1940年体制』 東洋経済新報社

*3 電力国家管理へ抵抗した昭和の経営者 1930年代 ダイヤモンド・オンライン http://diamond.jp/articles/-/12651 

*4 東電がJALにならない奇々怪々 日刊ゲンダイ http://gendai.net/articles/view/syakai/130452

*5 The Truth About Nuclear Power Reason Magazine http://reason.com/archives/2011/03/25/the-truth-about-nuclear-power

*6 社会実情データ図録 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4105.html