佐藤研一朗 2011年10月3日
<税金とは強奪のこと>
今回はこの税金の項目をお借りしまして、オックスフォード英語辞典を手がかりに「すべての税金は廃止されるべきだ」という、すこし過激な結論をひねり出したいと思います。
では、おなじみのOED(オクスフォード英語辞典)での、税金の定義を見ていくところから、話を進めていきましょう。
英語の原文では次のように定義されています。
“A contribution to state revenue, compulsorily levied on people, businesses, property, income, commodities, transaction, etc.”
これを日本語訳にすると次の様になります。
「税金とは、国家財源への負担金である。税金は人間、商売、財産、収入、商品、取引などから強制的に徴収される」
「税金とは国家財源への負担金である」という点は、誰もが納得する所でしょう。国家を運営するためは、お金が必要なので集める。それが税金である。まさにその通りです。
この定義の中で注目する所は、一番最後の「強制的に徴収される」の部分です。
この「強制的に」と訳されている compulsorily(コンポーソリリーと発音する。)は、非常に強い言葉です。力づくにとか、他に選択肢がなしにとか、否応なしにという言葉にも置き換えることもできます。
この compulsorily(コンポーソリリー)の対義語は voluntarily(ボランタリリー)です。ボランティアという言葉がありますが、その派生語です。
日本ではボランティアというのは、無料奉仕活動のことだと思われていますが、英語での本当の意味は、自発的にとか、自ら望んで、志願してという意味です。
ですから、その対義語のcompulsorily (コンポーソリリー)には、「自ら望まない」という意味も含まれていると考えていいでしょう。
もう一つ注目するべき言葉は、徴収を意味する “lvey” (レビー)です。これも相当強い言葉です。取り立てるとか、(軍隊を)召集するとか、法律用語では差し押さえるという意味でもあります。同意語は seize(シーズ)で、これは急に掴みかかるとか、(敵地を)強奪するという意味にもなります。
これらを考慮すれば「税金とは国家財源への負担金である。税金は、人間、商売、財産、収入、商品、取引などにかけられる。納税者は、誰もが自ら望んで税金を払いたがらないが、国家が強制するため、他に選択肢がなく否応なしに、力づくに取り立てられるものである」と日本語訳を言い換えることができます。
もう少し強い言葉を使って「税金とは、国家による国民の財産の強奪である」と言い切ることもできるでしょう。
そう言い切ってしまうことに、反発を覚える方も多いでしょう。そのように考えたら、税金を払いたくなくなるではないかと。確かにその通りです。
しかし、皆さん、我々納税者に、税金を払わないという選択肢がありますか?
今年、与党政府はろくな仕事をしていないから、今年度の税金を払わないと、抗議をすることができます?
当然、できません。マスコミに脱税者だと烙印を押され、あなたの社会的信用は失墜するでしょう。そして追徴課税を受けるのが関の山です。下手をすれば、悪質だとして脱税犯として牢屋にぶち込まれるでしょう。
ですから、納税者がいくらあがいた所で、最終的に、国家は暴力で、納税者の財産を税金として奪うのです。これを強奪だと、呼ぶことが間違っているでしょうか。
<税金という非道徳的な制度>
こんなことを言うと、またすぐに反論が返ってきます。
「税金は強制だし、強奪なのは認める。ただ、税金は社会の皆のために役に立っている。国民は、税金で運営されている社会保障とか福祉の恩恵を受けているのだ。」
確かに、国民の多くは社会保障や福祉の恩恵を受けています。
しかし、だからといって、他人の物を力づくで奪いとる税金という制度を、それだけで正当化することができるでしょうか。
個人レベルで考えれば、「他人の財産を強奪する」なんてことが、認められている社会はそれほど多くないでしょう。
例えば、銃を片手に、あなたの家に押し入った強盗が、近所の孤児院に寄付するから金をよこせと、あなたから金を奪ったとします。いくら世の中のためにお金を使うからと言ってみても、このような行為を正当化するのは簡単なことではありません。間違いなく、この強盗は罪をとわれるでしょう。
しかしまあ、そんな優しい気持ちがあるなら、一生懸命働くとか、なにか他の方法で、お金を孤児院に寄付すればよかったのにと、思いませんか?
これは国家にも同じ言えることなのではないのでしょうか?
強制的に皆から金を奪って、皆のために使うという制度は、今上げた強盗の論理とあまり違いがありません。
銃を突きつけられて、お金を差し出すのが好きな人はいません。強制的に税金を取られて、嬉しいと思う人もあまりいません。人間は、自分の意志に反して、強制されるのを嫌うからです。
強制を嫌う人間の本質を無視しているために、税金は非道徳的なのです。
同時に、人々の嫌われているため、非常に非効率な金の集め方でもあります。
<100ドルの課税に、65ドルの課税コスト>
「道徳の話しとか、言葉遊びは、聞きあきた。いくら税金が非道徳的なものであっても、税金は国家運営に必要不可欠だからなくなりはしない。税金は、国家の必要悪なのだ。」と、むかむかした思いで、ここまでの文章を読んでくれた人もいるでしょう。
では、実際に税金とは、国家の運営資金を集める上で、どれほど効率的な制度なのでしょうか。国家になくてはならない必要悪だというほど、優れた制度なのでしょうか?
結論から先に言えば、税金ほど、非効率なお金の集め方はないのです。
税金は、個人の意志を尊重せず、強制力を持ってお金を集めているため、社会に膨大な費用を押し付けているのです。
ではアメリカを例にして、具体的な数字を上げて説明していきましょう。
保守系シンクタンクであるインディペンデント・インスティテュートの研究員であるジェイムス・ペインによれば、アメリカ連邦政府が、100ドルの税金を集めるたびに、なんと65ドルものコストが掛かると指摘しています。
これは驚くべき非効率さです。
ジェイムス・ペインの論文によれば、65ドルのコストの詳細は、以下の表のようになっています。(パブリックインタレスト 1993年)
表
経済の阻害効果 $33.20
税金を納めるためのコスト $24.43
国税局のコスト $0.61
施行や裁判のコスト $1.97
脱税コスト $2.96
その他のコスト $1.84
合計 $65.01
課税の中で、最大のコストは、税金の経済への阻害効果(disincentive effect)です。
税金が、経済に悪影響を与えることは、昔からよく知られていました。税金は、労働者、企業家、投資家から、余計に資金を取り上げるわけですから、彼らの意欲を下げ経済への貢献を妨げるのです。
例えば、株式を買うのに10%の税金がかかるとしましょう。この場合、投資家が一千万円分の株を買ったら、百万円の税金を払わなければなりません。もし、この時、税金がなければ、その百万円は他に投資することもできたはずです。つまりその分、投資意欲を妨げたことになります。
労働者に所得税を掛ければ、その分、手取りの給与が減り、労働意欲を妨げます。 消費税があれば、企業家は、税金をその分上乗せして、商品を売らなければなりません。つまり本来よりも高い値段で、顧客に商品を売らなければならないのです。商品の値段が上がれば、その分、消費意欲を低下させます。結果需要が減り、消費が停滞します。
このように税金は、経済が本来あるべき姿を歪め、経済全体に悪影響を与えるのです。
最近になって、この税金の経済への阻害効果の研究が進み、具体的な数字が分かるようになってきました。ペインの論文によると、税金が与える経済への阻害効果は、33.2%であると言います。
つまり、一万円を課税につき、経済から3320円の生産性が失われるということです。いかに税金が、経済に悪影響を与えるかということです。つまり、50兆円を徴税すれば、経済に約16兆円もの悪影響が起きるということです。
<税金を納めるにも金が掛かる>
次に大きいのは、税金を納めるためのコスト(compliance costs)です。これもなかなか目に見えませんが、事業主に対して降りかかってくる費用なのです。
自営業をやっている人や、経営者は、身を持って実感していると思いますが、税金を正しく払うのは、実は大変なことなのです。
まず、税金を払うためには、帳簿を付けなくてはいけません。領収書などの必要な書類を全て保管しなくてはいけません。税制や納税の方法も学ばなくてはなりません。確定申告の書類を提出するにも、税務署とのやり取りにも時間がかかります。
これらの手間、時間は、全て人件費として事業主が支払っているのです。税金がなければ、本来そのほとんどが必要ない費用です。
しかし、企業にしてみれば、脱税の疑いをかけられたりしたら、企業経営に支障がでるので、手を抜くことはできません。当然、会計士や税のコンサルタントを雇うのにも費用がかかります。
本来、国が支払うべき徴税の費用を、国が企業に肩代わりさせている点も見逃してはいけません。例えば、源泉徴収というシステムが、その典型です。企業は、もともと自分の会社の業務と関係がない従業員の所得税を、徴収し、納税しなければなりません。本来、国が払うコストを、企業に押し付けているのです。
労働者の給料から、企業が税金を、先に天引きするという源泉徴収は、ナチス・ドイツが納税率を上げ、国民を管理統制するために導入した悪の制度であることを、覚えていて損はないでしょう。
税金は、国家による国民の管理統制の一環であるのです。
消費税にしても、同様のことがいえます。企業は、商品の値段に税金を上乗せし、国に代わって、顧客から税金を取り立ているのです。このような手間、費用も税金を納めるためのコストに入っているのです。
ペインの論文によれば、アメリカ連邦税を収めるために、アメリカ企業や個人は、年間合計54億時間をも費やしています。これは、連邦税を収めるためだけに、全米で約3百万人の従業員が、一年間フルタイムで働いている計算になります。この税金を納めるコストを合計すると、100ドルの課税に対して、24ドルと膨大なものになっています。
その他のコストとしては、100ドルの税金に対して、国税局の運営の費用が、0.61ドルが掛かっています。この数字が小さいために、普通、課税のコストはそれほど大きくないのだと、勘違いしてしまうのです。
税金滞納の通知や、監査、裁判、税金滞納に対する差し押さえなどには、1.97ドルの費用が掛かります。
面白いのは、脱税をするために掛かる費用が、2.96ドルもあることでしょう。あたりまえですがタクスヘブンに資金を移動させたり、マネーロンダリングをして資金を洗浄するにも費用がかかるのです。
これらの課税のコストを全て合計すると、100ドルの課税に対して、65ドルもの費用が掛かっていることになるです。
税金は、必要悪なのだと言う前に、税金制度自体が、いかに壮大な無駄遣いか、我々はもう少し考えるべきなのです。
こんな非効率な集金方法は果たして、これからも存続可能なのでしょうか?
<税金は政府の無駄・官僚機構の膨張を生み出す>
ここまでは、税金を集めるために膨大な費用がかかっていることを話してきました。では、税金で集められたお金は、無駄なく効率的に使われているでしょうか?
まあ、首を縦にふる人はすくないでしょう。
我々は、官僚機構が、税金を、無駄なく効率的に使ってくれるなどという、幻想は抱かない方がいいのです。
なぜなら、国民から強制的にお金を取り上げる税金自体が、政府の無駄、非効率さを生み出す元凶であり、官僚機構の肥大の促進剤だからです。
このことをパーキンソンの法則を使って説明しましょう。
イギリスの政治学者のシリル・ノースコート・パーキンソンは、イギリス海軍を観察し、戦争が終わったあとも、職員の数が増え続けていたことを発見しました。そこから「官僚機構は、実際にこなさなければならない仕事量に関係なく、官僚の数をどんどん増やし続ける」という皮肉のきいた法則を導き出しました。
官僚の数が増えた分は、実際に必要のない仕事を想像することで賄われ、無駄な仕事が増えていくというのです。
しかし、どうして「官僚機構は肥大しつづける」のでしょうか?
パーキンソンの法則の中には「人間は与えられた資源を使いきってしまう」という法則もあります。これを使って考えれば分かるはずです。
つまり、役人にとっての「資源」とは、税金のことなのです。官僚機構は、仕事があろうがなかろうが、国民から、税金という資源を、取り尽くす限界まで肥大しつづけるのです。
この法則を無視している限り、いくら政治家が行政改革を叫んだところで、税金の無駄遣いをなくすことはできないのです。
もし、行政の無駄をなくしたいのであれば、まず採掘可能な資源量(税金)を、制限しなければいけません。
つまり。減税をして、歳入を強制的にまずカットして、これだけのお金で行政を運営してくださいと言わない限り、行政の無駄は減らせないし、官僚機構の肥大を止められないのです。
このことを日本を代表するリバータリアン政治家である現名古屋市長・河村たかしは「減税なきところに、行政改革なし」と、ズバッと言い当てています。
減税というのは、行政に、擬似の企業努力を迫ることなのです。
行政は、税金という強制によって成り立っていますから、常に、企業に競争や効率化を求める市場経済の法則に従わないのです。ですから、納税者が、減税を要求し、強制的に企業努力を迫らなければ、永遠に行政改革は成功しないのです。
<税金は王政の遺物である。>
ここまで税金は、非道徳的な制度であり、非効率なお金の集め方で、その上、官僚機構の肥大を促し、行政の無駄を作っている元凶であると、述べました。
そもそも、どうしてこんな厄介なシロモノが、国家の中心に鎮座しているのでしょうか?
私は、税金が、専制政治(つまり王様がいた時の政治)の名残なのであると考えます。
王様が、税金として、領民から力づくで好きなだけ富を奪いとることが許されているのは、王様が領民を所有している、もしくは支配していると考えるからです。
このような考え方が背景にある税金という制度は、自由主義・民主主義が勃興して、王様が打ち倒され、国民が主権を持った時に、はっきりと否定されるべきでした。しかし、どうしたことか税金は廃止されなかった。このことが、今でも世界中で悲劇を招いている原因なのだと、私は考えます。
自由主義の歴史は、王様の権力を制限しようという闘いです。当然、その中には王様が好き勝手に税金をかけるという権力も入っていました。
もともと、自由主義には、反税運動の側面を持っていたのです。
12世紀イギリスでは、貴族が無駄な戦争ばかりし、増税に増税を重ねる王に反乱を起こしました。最終的に、貴族たちは、王様に自分の権力を制限するというマグナカルタ(大憲章)に調印させました。これが、自由主義の萌芽なのです。
マグナカルタには、議会の承認なしに、王様は新たな税金をかけることができないという条項が、王が法律や裁判によらず、勝手に国民を罰することができないという条項と並び書かれています。
17世紀の名誉革命が成功したあと、王と議会の合意書類である権利の章典の中では、議会の同意なき課税がハッキリと禁止されています。
しかし、残念ながら、自由主義が台頭しても、課税自体が禁止されることはありませんでした。おそらく課税は必要悪だという考え方があったのでしょう。
それに、税金は権力を生み出す甘い蜜です。王様にとって代わった人々が、その甘い蜜を自分のものにしようと考えたとしても、不思議なことではありません。
ですから、いつの間には自由主義の運動は、その税金という甘い蜜を独占している人から奪い、皆に平等に分けるべきだという流れになっていきました。
この考え方が、社会主義や、共産主義、全体主義、ケインズ主義や、はたまた官僚政治を生み出す根っこになっていたのです。
私は、この自由主義の歪曲を、もう一度正すべきなのではないかと思うのです。税金は、王政であろうが、民主制であろうが、取られる側としてみれば、苦痛でしかありません。税金というのは、少しも自由ではないのです。
その上、先に述べてきたように、経済に悪影響を与えるだけでなく、膨大な手間が掛かる非効率的な制度です。そして世界中で肥大化しすぎた官僚機構が、まるで王様のように振舞って、問題を引き起こしています。
ですから、我々は、勇気を持って、この税金という「強制」を廃止するべきなのです。
勘違いしてもらいたく無いのですが、(税務署の人にはここのところをちゃんと読んでほしいのですが)私は、税金が悪だから、もう税金を納めるなと提言しているのでもありません。マルクスのように暴力革命を起こして税金を廃止せよといっているのでもありません。
ちゃんと、民主的な手続きをとって、時間を掛けて、混乱のないように、税金を廃止していきましょうと、訴えているだけです。
日本国憲法の第30条には「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う」と書いてあります。
これは一見、国民は納税の義務だという、国からの国民への命令のように見えますが、そうではありません。
憲法とは国の権力を制限するものであり、国民への命令ではないのです。
これは先に上げた自由主義の歴史をみれば明らかで、「国は、国民の代表である議会の承認なしに、国民に課税できない」という意味です。
ですから、法律的に言えば、議会が新たな税金を認めないで、現在の税金を一つずつ廃止していけば、最終的に税金を0にすることは可能なのです。
どうせ、一気にやるのは不可能でしょうから、税金を廃止すると目標を決め、20、30年掛けて、毎年一定の税金を減税していけばいいのです。
<寄付制という代替案>
では、税金をなくしたら、どのように社会を運営するべきでしょうか?
私は、寄付によって社会を運営していくべきだと思います。
寄付には税金にない利点がたくさんあります。
寄付は、税金のように経済に悪影響を及ぼしません。
寄付は、税金のように膨大な徴収コストが掛かりません。
寄付は、寄付する側に、お金をいくら払うか、何に払うかという選択肢を与えます。だから競争原理が働き、官僚機構を効率化させます。
そして税金がなくなれば、貴方の給料の手取りが、今までの30%とか40%ましで増えるのです。そのお金をどのように社会のために使うかは、あなた次第なのです。
これこそが私には国民主権だと感じるのです。
「公共は全て行政の仕事だ」と勘違いしたのが20世紀の大きな間違いでした。つまり、公共ことは全部税金でやればいいと考えたのです。これが今のような巨大が官僚機構を生み出しました。
公共というのは何も行政だけの管轄ではないのです。地域社会、家族、友達のネットワーク、NPO、企業、幇助団体なども立派に公共の一部を担っているのです。
ですから税金の廃止をゴールに減税を進めながら、同時にNPOなどへの寄付の税控除を広く認めていくべきです。つまり、寄付したら、その分、税金としてカウントしますよということです。
これにより公共サービスの競争が始まります。
公共サービスを競争させることで、利益があがるサービスは民間企業がやり、NPOが得意な物はNPOがやり、どうしても行政がやらなくてはならないことを、行政がやるというようにと分別され、効率化されていきます。
最終的に、政府は、サービスの使用料と、人々の善意からの寄付だけで運営するべきです。公務員はみんなに頭を下げて、こう言うサービスが必要だから寄付をしてくださいと国民に頼むべきなのです。
これは世界中のNPOが行っていることであり、どれだけ大義があったとしても、政府だけ税金という強制力で公共を独占してはいけないのです。
政府は、民間と同じ土俵で競争をしなくてはならないのです。
政府が非効率だからと言って、政府を否定する必要はありません。
しかし、その根本にある税金という悪を容認してはいけません。
強制である税金は社会の害悪であり、故に廃止されなくてはならないのです。
21世紀の政治思想は、もう一度、税金を考え直すところから、始まるのです。
参考文書
廣瀬哲雄 「悪魔の用語辞典」【税金】
ロン・ポール「革命宣言」(The Revolution A Manifesto)
藤森かよこ「アイン・ランド語録」
税金は徴収されるものではなく喜んで払うもの?
http://www.aynrand2001japan.com/aynrandsays/aynrandsays20081123.html
中村弘 租税の基礎理論―税務教育での活用を視野にいれて
http://www.nta.go.jp/ntc/kenkyu/ronsou/51/03/hajimeni.htm
ビジネス用語・経営用語辞典 「官僚制とは」
http://kw.keiei.ne.jp/kw_manege_1/manege_1_3237.html
Wikipedia English「Voluntary Taxation」
http://en.wikipedia.org/wiki/Voluntary_taxation
河村たかし「おい河村!おにゃあ、いつになったら総理になるんだ」
減税こそ正義である。日本におけるリバータリアン政治家・河村たかしの行動と思想を分析する。吉田祐二筆 2010.9.17
http://www.snsi.jp/tops/kouhou/1431
2020年2月11日 追記
いづれ書き足したいこと
・社会民主主義の終わり
・インフレという税金
・公共サービス業という、世界最大でもっとも非効率な産業
・21世期の豊かさは、民間が供給する公共サービスの発展よって実現する
・小さな自治体で、まず実験を
・松下幸之助の無税国家論を読み解く
・寄付をため、基金を作り、投資して、運用益で政府を運営する